ようこそ!カントリーガレージは四国徳島の英国車MINIスペシャルショップです。

1959年5月4日。英国ロングブリッジで3台のMINIが製造されました。その3台は量産前の組み立てテスト、手順確認のために作られたものでした。50年の歴史を作るMINIはこの"Austin 7 Saloon"から始まったのです。

一台はクラッシュテストに使用され、一台はオープンに改造。カントリーガレージのショールームに飾られたこのMINIこそが、原型を留めた世界最古のMINIなのです。

そのMINIも朽ち果てる寸前でしたが、イギリスのガレージ経営者、"デヴィッド・ウォロウ氏"によって忠実に復元されました。 MINI生誕50周年を過ぎ、今や日本だけでなく、本国イギリスのMINI MAGAZINEなど、数々のMINI専門誌に取り上げられ、紹介されたこのMINI。いまさらここで説明をするまでもないでしょう。

興味のある方はぜひ、本物を見ることをおすすめします。

この最古のMINIを執念でオリジナルのままレストアした以前のオーナー、デヴィッド・ウォロウ氏を特集した「Classic and Sportscar」誌、1991年10月号の記事の和訳を掲載しておきます。


「オリジナリティへの執念」(原題:An obsession with originality)

デイヴィッド・ウォロウ氏が所有するミニは原型で現存する最古のミニである。彼はオリジナルに忠実に復元しているが、それを運転しようとはしない。


全ては登録ナンバー「KEG 77」から始まった。「醸造業に携わる者にはいいナンバーだ」(※1)と、デヴォン・ガレージの経営者、デヴィッド・ウォロウは思った。そして彼はそのナンバー付きのミニを購入した(が、その古いミニは前オーナーがラリー車を作るときまでと、納屋の梁にパーツを取り外した状態で吊り下げられていた)。当時の購入金額は95ポンドであったが、そのミニを早急に組み立て、車検を通し、ナンバーを売れば相当な利益になると彼は考えていた。

これは1970年代後半のことで、出版社からの現存する最古のミニについての話がデヴィッドの好奇心をくすぐるまで、その車は数年間放置されていた。彼の車の車体ナンバーは「A-A2S7/103」、あるいは102か、108だった(車体プレートが鮮明ではなかった)。それともそのミニは103台目、102、108台目だったのだろうか?

興味を持ったデヴィッドはブリティッシュ・モーター・インダストリー・ヘリテージ・トラスト(BMIHT)に連絡した。エンジンナンバーとディーラー情報の適合により、彼の車は「A-A2S7/103」であることが確認できた。しかもそのミニは最初に製造された3台のミニのうちの1台であった。つまり、オースティンのロングブリッジで工場主任アルバート・グリーンによって1959年4月上旬に生産開始前に組み立て、手順テストのために作られた3台のうちの1台だったのである。 ロングブリッジの3台のうち、1台目「101」の現存は確認されていない。2台目「102」はロングブリッジで実験的にコンバーチブルに改造され、1963年にBMCによって売りに出されたが、今も現存している。しかし、残念なことにほとんとオリジナルをとどめていない。

したがって、デヴィッドの車はBMIHTが所有する1959年5月8日にカウリーのモーリスで最初に作られた"Morris Mini Minor"、登録番号「621 AOK」よりも古く、かつ原型を保った状態で現存する最古のミニなのである。当時デヴィッドは30年もののジャガーEタイプの復元作業を行っていた。それが完成間近になり、彼には次に取りかかるべきものが何であるか明白だった。―「KEG 77」の復元である。


デヴィッドは初期のミニとその後生産されたミニには非常に多くの仕様の違いがあるとわかり、その思わぬ障害に悩んだ。さらに最も初期の「KEG 77」にはより細かい違いがあった。

以下のような特徴はよく知られている。

  • シングル・ピース(1枚もの)のサイドパネル(組み立てと輸出時の利便性のため。フラットな梱包に役立つ)
  • 敷居構造がない(上記と同じ理由のため)
  • 床上のプレス加工された隔壁(水は浸入する)
  • 凹みのない前後のスクリーン(ボディが曲がると水漏れするため、この仕様は即廃止された)

その他は曖昧ではあるが、生産開始前のロングブリッジの3台、および非常に初期のミニにのみ見られる特徴がある。

  • リアバンパーは直接エプロン/リアパネルの継ぎ目にボルト締めされず、小さなパネルにはめこまれている
  • ラジアスアームは鋳造でなく、スチール(鋼)をプレス成型して作られている
  • エンジンステディバー、ワイパーモーター、エアクリーナーは全く異なる
  • 床にはめ込み式のスタートボタン用ボックスはプレス成型でなく、床に溶接されている(おそらく最初にプレス発注された後、トランクにバッテリーを取りつけ、床にはめ込み式のスターターを取り付ける決定がなされた為だろう)

しかし、最も興味深い特徴は、フロアパンを貫通した下側で切り取られた8本のボルトの存在であった(ボルト自体に明白な機能はない)。1959年の車体組み立てジグと写っている車の写真を見て、デヴィッドはボルトの位置がジグのマウントする位置と一致していることを知った。つまり「KEG 77」が生産開始前のミニであるという更なる特徴ということだろうか?

「それはあなたが車を見てまわった時に気づく些細な点、つまり奇妙に異なる点だ。まだ私が気づいてない部分がさらにあるだろうし、この車特有のもの全てを把握しているわけではない。」と、デヴィッドは言う。


車のアイデンティティを保持するために細部まで保存し、紛失箇所は最も初期のミニに適切な部品と交換しなければならなかった。基本的に錆びたパネルも不用意に交換することはできなかった。オリジナリティの問題は別にしても、例えばデヴィッドがドアパネルを後期のものと交換していれば、彼は他の初期のミニにも残っていないレアな排水機構を失っていたことだろう。

オリジナルのドアには底に1/2インチのはめ込み口、精密なプラズマ・カッターで切られたスチール、突き合わせ溶接された接合箇所がある。「それらを見つけるにはX線が必要だろう。」デヴィッドは言う。同様にウィングの25%は交換が必要となるだろうから、ボディの少なくとも75%はオリジナルである。


内装にも慎重なアプローチを要し、中身を抜かれてインテリアパーツがごくわずかしか残っていない車は作業をより困難にした。

「内装にはこの車のオリジナルではないがビニール製ではなく、オリジナルのレキシン初期のミニの内装である。それを作るために約11セットの手入れを行った。傷んでない赤いパネルシートを1つ、もう1つ背面の良いものなどを手に入れてそれらをほどき、完全なシートにするために縫い直した。フロントシートの背もたれの1つはリアベンチシートから作った。私は内装部品に囲まれて何日も台所で過ごした。同じステッチパターンがセットされた工業用ミシンを使ったため、結果として大部分のオリジナルの針孔を使用することができた。」

「数年前は材料があちこちにあって、スクラップ置場に行けばミニがたくさんあった。私は数年の間に8~10台は購入した。」

「そのものがどうあるべきか知るには人に聞くのが一番だ。多くのミニ・オーナーズ・クラブの人は初期のミニに興味を示すので、彼らの知恵を借りればいい。話が矛盾する点はパーツブックとワークショップ・マニュアルで調べる。時には知的な推測も必要だ。例えばオリジナルらしき初期のミニのスクラップを10台見つけたとして、そのうちの1台が異なった内装であるなら残り9台の装備が正しいと言ってまず間違いない。」

「それに今でもBMCバッグの中からオリジナルのパーツを見つけることはできる。小さな部品を見つけるのはきつい作業だ。私が多くの部品を見つけられたのはただ運が良かっただけではない。材料費にお金をかけるのがベストだ。とはいえ、850ミニの小さな部品は初期のEタイプのレアなパーツと異なり、あまり価値はないのだが・・・」

「一番の問題は燃料ポンプだった。私はどこで手に入れるのか分からなかった。専門家に聞いても彼らはそのポンプについて聞いたことがなかった。その燃料ポンプは非常に初期のミニにしか存在しないものだった。しかも生産工場が後期に燃料ポンプを作った際、オリジナルとパーツナンバーを区別しなかったことが原因で見つけるのが非常に困難だった。オリジナルの燃料ポンプの存在は最初のワークショップ・マニュアルに記載されていたことからやっと手がかりを得た。ある男がグロスターの"Mini Mail"に来て、初期のそのポンプを持っていると言った。それで"Mini Mail"が私に電話をくれ、私は『それを買うよ!』と即答した。私は彼に実際自分と彼だけがオリジナルの燃料ポンプを見たことがある者だろうと話したんだ。」

「もしレアな部品に馬鹿げた金額を払うなら、みんな自分で探してみようと考えるだろう。ある部品を探していると宣伝すれば、それを所有している者は値を吊り上げるのは当然だ。つまり、お金をかけ過ぎでいるのではなく、部品を探してもいないのに手っ取り早くお金を払ってしまっているということだ。レアものは一度逃せば、二度と出てくることはないし、仮に出たとしてもかなり高額になるのは間違いないからね。例えばその燃料ポンプの場合、5年間探していたのだから、普通なら200~300ポンドはかかっただろう(実際私はそんな金額を払っていないが・・・)。」

「幸運なことに、ウィンドウは車についていた。なぜなら私は他のセットを見たことがなかったからだ。初期のウィンドウにはキャッチ(ロックの留め金)の穴が1つしかない。そのキャッチはぐらぐらするので生産工場はすぐに2つ穴に変更し、キャッチにナットを付けた。その為にぐらつかなくなった。実は私はキャッチに関して思いがけない幸運にでくわした。地元のミニ・オーナーズ・クラブで、ある男がBMCバッグに4つ全てのキャッチをもっていたのだ。信じられなかった。『それらは本当に初期のものなので、1個につき1ポンドはしますよ。』と彼は言ったんだ。」


デヴィッドが忠実かつ、適切な構成部品だけを用いて、1959年製ミニ「KEG 77」の復元に費やした時間は3,500時間~4,000時間に及んだ。

「あなたは私がオリジナリティに執着していると思うだろうが、それが自分の趣味だからだ。小切手帳を持って出かけミニを購入し、お金を払って新しいパネルを溶接してもらい、エンジンを発送し、誰かにそれら全部の組み立てを丸投げするのはとても簡単だ。しかしそれはズルだ。趣味がドライブであるなら構わないが、私は自分のどの車も運転するつもりはないので、どんなに時間がかかろうと全く構わない。」

「KEG 77」の完成後3年間でデヴィッドがその車を走らせた距離はわずか12マイルだった。その車は25,000ポンド払うとオファーされた(その間デヴィッドは初期のジャガーSタイプを復元している)。

「私が復元に費やした時間の半分が無駄になってしまうため、ミニを走らせることには意味がない。たったひとつの底面の汚れや、雨の日に1度遠出するだけで劣化は始まってしまう。」

「フラットな性能、非常にうるさく、まるでトランポリンのようでとにかく運転するのは恐ろしい。新車のように路面をとらえてコーナーをうまくまわるけどね・・・。」

「スティーブンソンのロケットでパディントンに行きたくないことや、405ラインのチカチカする白黒テレビを見たくないように、いずれにせよ私は自分のどの車も運転することに興味がないんだ。」

「私は古いものの完璧な見本が好きだ。私は「物」のオリジナルは保存されるべきだと思っていて、そうでなければ将来振り返って見る物が存在しなくなる。1959年製のエンジン、ギアボックス、クラッチ、コイル、燃料ポンプなどは数に限りがあり、みんながそれを使ってしまえば100年の間に消えてなくなるだろう。私が最後のランカスター爆撃機をいまだに飛行させている英国空軍に怒りを覚える理由がまさにそれなんだ。その爆撃機が墜落すれば何も残らないからだ(おそらく時間の問題だろうが)。そんなに飛行する姿を見せねばならないのか?なぜ?もう飛行できる爆撃機はあまり残ってないというのに・・・」


「私の車は路上に出るたび危険に晒され、メーターの1マイルごとに劣化していく。自分が所有する3台のようなオリジナルコンディションを保つクーパーS、初期のミニ、初期のEタイプを私は他に見たことがない。私がそれらの車を運転しないことは別にたいした犠牲ではないし、自分は別に立派でも気高くもないんだ・・・。」


※1:「KEG」は「小樽」の意味があるため

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